ゆっくりあるこう   by照美 yokoiterum.exblog.jp

大自然のかみさまと おなじほしにうまれたいのちにであう旅 唄いながら旅しています ~照美 


by yokoiterumi
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カテゴリ:海外へ( 10 )

4月23日(金)
とても長かったような短かったような4泊5日のたびだった
寝不足のせいもあってぼんやりとしているのもあるけれど
サイパンを離れたとたんに
到着した日のことも 前日のことでさえも 
夢の中の出来事のように感じる
何度も印象深かった情景が浮かんでは消え浮かんでは消える

思っていたよりも ずっとずっと 記憶が濃いまま残っている土地だった
なにも整理されず残っている感じだった
日本では コンクリートで隠したり覆ったりしている記憶が
ここには そのまま置かれて 自然に風化するのを待っているようだった


行く機会があるならば たくさんの人に サイパンへいってみてほしい
先祖がどんなことを考えて どんな暮らしをし歴史を残したのか
そのまま 自然に朽ちようとしている様子から感じたい


飛行機の中から 風も波も何もかも止まって見える朝
静かな海が昇る太陽に照らされていた
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帰ってきてからも行く前も 最近は「サイパン」の話しをライブでしている
お寺など年配の方が比較的多いところでは ライブのあとで
「私の姉がサイパンでね・・・」「わたしはビルマ・・・」「わたしもサイパンに・・・」
声をかけてくれる方が必ずいる それもひとつの会場で一人ということはない
「うた」をツールに私たちの旅は出会いを次々とつなげては深めていくものになっていくだろう
大切に感謝しながら歩いていかなければ
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by yokoiterumi | 2010-04-28 23:50 | 海外へ | Comments(0)
残すところ半日
ホテルの前のビーチ
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私は浜からほんの10メートルくらいのところまで
砂地の海でも魚が泳いでいるのが見えた
その向こうの海草がはえ始めるところから先に
わたしはいかれなかった
まだ いかれない・・・  そういう気持ち
BOOはずいぶん遠くまで
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まだ 海には上陸しようとしてそのまま放置されたままの戦車が
普通に置き去りになっている場所がある
海に半分以上浸かっている船体に魚が群れていたとBOOが教えてくれた

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ギタレレで唄っていたら すぐBOOの手をとって踊り始めたビーチのおばさん
普段はウクレレを弾くんだというカイオ君がギタレレで唄ってくれた
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日本人のお嫁さん まどかさんの実家がある岐阜にしばらく住んだことがあるという彼は
とても日本語が上手
日本人は心がきれいだと彼は言う
日本で日本人にとてもよくしてもらったから これからはサイパンで
サイパンにくる日本人に恩返しといっていた


彼のお母さんはカロリアン お父さんはアメリカ人
「サイパン人はね みんな ミックス ミックス もう純粋なチャモロ人はいないし
チャモロ語を話せる人もいない」


明日も一緒にうたおうとさそわれて もう帰るのだというと「今度いつくるの?」
ついつい いつにしようかなぁと考えている
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「今日はガラパンでマーケットの日だから行っておいでよ」とカイオ君に教えられ
滞在3日目にして始めて夜の街へ
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屋台で中華をテイクアウトして帰ってきた
6品自由に選んで5ドル サイパンの旅おしまいパーティをふたりでする
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by yokoiterumi | 2010-04-28 23:36 | 海外へ | Comments(0)
4月22日(木)
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宿泊しているホテルの敷地内にある慰霊の碑にお参りをして最終目的地ガラパンへ
レンタカーを返してバスと徒歩で砂糖王公園を目指す
信号つきの横断歩道がほとんどないが、横断歩道の前に立つと車がハザードをつけながら止まってくれるルールになっている
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公園の中に戦後建て直しされた神社もある
神社のうしろがオキナワの御嶽のようで 少し中に入ってお参りをした
竹林になっている一角があって 古くからこのようだったのかは分からないけれど
ガラパンに移り住んだ日本人が、ふと集まりたくなるような場所だったのかもしれない
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向かい側の博物館があって 日本統治時代の資料がたくさんあった
戦時中病院だった場所 ずいぶん長くいたけれど 昼過ぎ私たち以外に誰も訪れる人がいなかった
係りの方が写真を撮っていいところとだめなところを教えてくれたので
問題なしのところを写真に撮ってきた
戦争前のテニアンでのサトウキビ栽培の様子を収めた写真や
サイパン神社奉納相撲大会 サイパン剣道大会の写真もあった

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ガラパンの日本人の町の地図
実にいろいろな商店が並んでいる
『泡盛』を売るお店もたくさんある

私たちがサイパンにくるきっかけを作った沖縄のおばあちゃんの話しのなかに
時計屋さんの話しがでてきたのでBOOとふたりで「ここかな」「こっちかな」

南国の空のした この島にはさまざまな海から流れ着いた人が
上陸し 暮らしてきた
そのたびに土地の名前が変わること 暮らしのルールが変わることを受け入れてきた
空はいつもかわらない 木や土は戦禍に染まった記憶を刻みながら ここにいる
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真昼間にガラパンの町を歩いて(歩いている日本人には会わなかったなぁ・・・)
ガラパンを歩いた往時の人々に思いをはせた半日を過ごし
この後の半日はサイパンでたくさん笑ってたのしんで帰ろうと思った

お昼はガラパンの 「サブウェイ」でサンドイッチを買う
お金を払って帰ろうとしたら 店員さんが牛乳を1リットルプレゼントしてくれた

道路はフレームツリーの並木
23日からおまつりなので準備がにぎやかだった
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by yokoiterumi | 2010-04-28 23:18 | 海外へ | Comments(0)
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おきなわの塔と韓国人慰霊碑の隣 最後の日本軍司令塔が残っているマッピ山の麓
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壁と床の間に張り付くようにして 怯えている感じをうける
私は なかなか中に入ることができなかった
BOOが埴生の宿を唄いたいといってうたう
唄い終わったころ中に入ってみると 訪れた人がお酒やタバコをお供えした跡があって
私たちもお線香をあげた

隣に日本政府が建てた中部太平洋戦没者の碑がある
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BOOが先にすたすたと歩いていって まっすぐこの碑の裏にまわった
たくさんの方の卒塔婆や碑が所狭しとたてられていた
7人8人 家族全員の名前が連なっている碑も珍しくない
『国』という大きな壁のうしろの ひとつひとつのいのちだった


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制限速度15キロの上り坂を登りきってマッピ山頂上に立つ
スーサイドクリフ(自殺崖)
足下はジャングル
視界の先にはバンザイクリフがあり 海があり 空がある
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たくさんの碑がならぶ山頂の平和祈念公園
この碑の文言にBOOも私も心を動かされていた
「国籍のいかんを問わず」「永遠の平和を祈願する」碑
何度も繰り返して読んだ


日本から離れているからこそ 『日本人』であることに真剣だった
山の上まで上がってくるのだって大変なことだったろう
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うたっている途中 白人の老夫婦が車を降りてこられて
少しはなれたところで 私たちが気の済むまで待っていてくださった
とてもありがたかった
中国人の新婚旅行カップルがやってきて
かわいいポーズをとって写真を撮りあっている
私たちも写真を撮りあった
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ホテルに戻ってシャワーを浴びた後にビーチへ出た
空を見上げて風にふかれて波の音を聞いていたら
やっぱり踊りたくなった
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それはそれは 気持ちよいときだった


最終日にと考えていた二つの山に登り終え 
気持ちが少し楽になってきていた
翌日最終日は午後から ただ遊ぶ気持ちになれるかもしれない
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by yokoiterumi | 2010-04-24 23:27 | 海外へ | Comments(3)
タポチョ山へは最終日に 旅の感謝にあがろうと考えていたけれど
山麓のサンタルーディスの水を頂いたそのままの足で まっすぐ お山へあがろうと決めた
山頂のすぐ手前まで車で行かれるというが
「ほんとに この道でいいの?」とふたりで疑心暗鬼になるような いたんだ道が続く

この山のことは 見晴らしのよい「一番高い山」ということしか知らなかった
サイパン屈指のビューポイントとガイドブックで読んだから
南を向くと飛行場が見える
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山頂ににたってみると いくつもいくつも歴史を説明するパネルがあった
私もBOOも無言で谷を見ていた

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6月16日海から上陸したアメリカ兵は
18日に飛行場を陥落し
日本兵はすべてを見渡せるタポチョ山に防御線を敷いて戦うことになった
すでに多くの兵士を失っていた日本は組織的な攻撃ではなく
サトウキビ畑や洞窟に潜伏してのゲリラ的な機関銃攻撃が主となり
アメリカ兵も日本兵もこの谷で多くの兵士がいのちを落としたという「死の谷」
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7月7日陸海軍によるバンザイ突撃が行われアメリカ軍に死傷者658名の損害
日本軍はほぼ全滅

そういう場所だった

谷に向かってお水をたくさんおとした
このまま ラストコマンドポスト(日本軍最後の司令塔)とマッピ山頂(スーサイドクリフ)へ行く
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by yokoiterumi | 2010-04-24 13:46 | 海外へ | Comments(0)
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サイパン島最高峰 タポチョ山の麓にあるサンタルーディス(聖母マリアの祠)
観光ブックなどには 戦中日本の強制的な神道教育から隠すように安置した とも
犠牲者が多くでる大戦の終結を祈ったともある  けれど 

もっともっと古くから ここは大切にされてきた場所にちがいない
もっと英語ができたらな
お隣の家の人に この場所のもっともっと古い歴史を教えてもらえるのに
ここには真水の湧水がわいているのだから
移民した方々もこの場所にきたに違いない
沖縄からの女性たちは塩と米と酒を持ってお参りに来たかもしれない
若水をいただきにきたかもしれない


入口からみると 哀しみが横たわるような なにかしずんでいるような感じがして
少し足が重くなっていた
それでもお参りしているうちに落ち着いてきた
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今も昔もサイパン島は全島水不足という
海水をろ過してつかう生活水道水は飲用には適さず ミネラルウォーターを買わねばならない
持参した簡易電熱器で自炊(雑炊やスープ程度)している私たちは
一日1ガラン(約4リットル)の水を食事と飲用のために毎日マーケットに買いに行く
水の数量を意識したのは久しぶりのこと
一滴も無駄にしないようにと 自然に気持ちがむく
昔は天水(雨水)で生活していたという

私たちがおまいりしている間にも 空のペットボトルをさげて水を汲みにくる人がいた
昨日からお供えでつかっている日本の色々な場所からくんできたお水の残りを
すべてこの場所にささげて この水を日本につなごう
これから先のサイパン島でのお供えも この地元の水をつかうことに決めた
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この祠の左手奥のほうに小さな洞窟があってなにかまつられている
行ってみると 日本の方の位牌のような卒塔婆のようなものがいくつか供えてあった
日本から移住したカトリック教徒だった方だろうか
灯をともしたロウソクを聖母マリアの祠に 左の小さな洞窟にお線香を

しばらくするとこの場所を巣にしている 白い尾の長い鳥がかえってきた
羽を広げて尾を羽衣のようになびかせて飛んできた
BOOもわたしも何度も「きれい~」を連発した

お水も豊かだけれど土も豊か タポチョ山から続く森が豊かなのだろう
タロイモの成長ぶりにびっくりしていた
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by yokoiterumi | 2010-04-24 12:42 | 海外へ | Comments(0)
4月21日(水)
3500年前の古代チャモロ人の石柱遺跡「タガ遺跡」を目指す
地図にははっきりとした位置が指示されていない
南部のオブジャンビーチそばということをたよりに向かう

しかし   またもや迷子・・・
作業中のポリスに道を聞く
BOOは積極的に尋ねる係 私は必死に聞き取る係

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テニアン島がすぐ5キロ先に見える浜 オブジャンビーチ
駐車場でダイビングの準備をしている日本人の日本語が聞こえてきた
駐車場の係のような方にタガ遺跡を尋ねると
こんなに小さい石だけど? 
と 不思議そうな顔をしながら少し離れた場所まで案内してくれた
彼の名前はジョセさんといった

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わぁ 素敵な場所だなぁ
石とそのまわりの木が心をしずめてくれる
奥のほうには洞窟があって 古代のひとびとの様子をあれこれ想像する
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おひさまの光がまっすぐ降りてきているところ
ここはテニアン島の聖地と向きあっているのかなぁ
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しばらくして係のジョセさんがやってきて ビーチ沿いの奥のほうに案内してくれた
日本軍のトーチカ
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もう明るいですよ 空も海もきれいです


もう一度石柱遺跡にもどり うたうことにした
BOOが車に楽器を取りに帰り 戻ってきたときには ジョセさんも一緒だった
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オールドスピリットに向かって唄うとBOOが説明して
わたしとBOOとジョセさんと三人で並んで遺跡に向き合う
はじめ怪訝そうな表情だったジョセさん

うたったあとジョセさんが色々なことを話してくれた
彼のお母さんは日本語がとても上手なこと
サイパンには日本のいろいろな地方から移民者がきたこと
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テニアン島のほうを向いて 手を大きく振ってこの場所をあとにした
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by yokoiterumi | 2010-04-24 10:28 | 海外へ | Comments(0)
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おきなわの碑(復帰前の琉球政府による)
右側に 韓国人慰霊平和塔(韓国政府による) 左側に 中部太平洋戦没者之碑(日本政府による)
マッピ山麓のパナデロというところ
日本軍最後の司令塔があった場所
激しい戦場となった


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慰霊碑を抱く背後は森と崖 
珊瑚礁が隆起した石灰岩独特の地形に
沖縄に来ていると錯覚する なんどもなんども
BOOの吹く笛の音がごつごつした岩の隙間にす~っと入っていく
最初に韓国人慰霊平和塔 朝鮮民族の方々におまいりして アッチムイッスルをうたう

おきなわの碑へ
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大東島と八丈島をつないだロウソクに灯をともす
おきなわのウコー(線香)に火をつけ 
ヒヤミカチ 
2006年夏 コザの照屋政雄さんを訪ねたときに「この唄うたいなさい」と工工四を渡された
「沖縄からは多くの方が世界中に移民しているんだよ 
 第二次世界大戦では敵味方となる国に住むことになった歴史があった
 この唄は戦後、ロスにすむ平良新助さんが
  『   何度転んでも ひやっ えいっ と掛け声をかけてたちあがろう
   おきなわの この心を世界中に知らせよう』
 沖縄戦でどん底に落ちてしまったふるさと沖縄に海の向こうからおくったうただよ」

とにかく日差しが強く あつい 汗もでないくらいあつい
時折お供えが飛ばされるくらいの風が吹く
おひさまが不浄なものはすべて焼き尽くし 風はふきとばすよう

1日目最後の場所 プンタンサバネタ(バンザイクリフ)
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波 をうたった
午前中のイレスタマイゴファンのときよりある意味普通でいる自分に驚く
たしかに一日うごいて体も心も疲れていた
けれど 目の前に なんというのか・・・
崖の上の原っぱにふつうに座っていらっしゃるように感じた
当時 自分の心とじっくり向き合うまもなく ここから身を投げた方がほとんどだったのか
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後ろをふりむくとマッピ山頂がみえる
スーサイドクリフ(自殺崖)といわれる所

背後の山から身を投げる人々を感じながら 海の向こうに敵の船隊

壇ノ浦のようだ 海を見ながらおもった
平家の子女が海に身を投げたように 
ここもまた 陸でありながら大きな船の甲板と同じ

くりかえしなのかな
『いつも何度でも』のうたが口をつく
海ガメが竜宮に魂を案内しているよといわんばかりに やってきた
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ホテルに戻って そのままビーチにでた
ほどよく暖かくて 風が気持ちいい
ではじめた星がキラキラまたたいている
思わず手を上に伸ばして踊りたくなった
どこの何の踊りでもなく いま踊りたい踊り
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by yokoiterumi | 2010-04-24 08:27 | 海外へ | Comments(0)
サイパン島には看板や指導標が少ない そのため現在位置が分かりにくかった
大東島のように台風ですぐ破損したり危険だからかなぁ・・?
ホテルでもらった観光地図と持ってきたガイドブックをみながら北を目指していた
サイパン島の北端ブンタンサバネタ(万歳クリフ)へ到着する予定だった
地図にあるように右手に慰霊の塔があるバナデロを通過しそのまままっすぐ走った
駐車場と思われるスペースの広いところへ到着
バンザイクリフだろうか
でも何も看板もないけれど
足もとは切り立った崖 中国や韓国からの観光客が次々やってくる
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駐車場の端から降りれる少し気にかかる場所があった 
石灰岩ですべりにくいのと それほど急な崖ではないのでおりてみた
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一本の木がなにか とても愛おしく感じて ここで時間を過ごすことに決めた
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日本から持ってきたお供えを準備して しばらくBOOと座っていた
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唄い始めると とてつもなく切なくなって ギタレレを弾きながらずっと泣いていた
泣き疲れた頃 ふと 
わたし うたを届けにきたのに泣いてばかりいられないとチャンネルが切り替わった
普段のライブのように立って唄った
白い鳥が3羽やってきて空をまわっていった
さいごにBOOと「ふるさと」をうたってその場を去ろうとしたら
なにか気にかかる様子でBOOが崖をさらにおりていった
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沈さんという方の碑
人の目のつかないところ



慰霊の塔の場所へあらためて向かうことにして
しばらく地図を見ながら走っているうちに 舗装道路が未舗装の砂利道になり 
そのうちにほとんど車が通らないような道にかわっていった
迷子になった・・・ことに やっと気づいた
そして・・・
今お参りした場所は万歳クリフではなくて イスレタ・マイゴ・ファン(日本名:月見島~桂浜に負けない月の名所として移民した日本人に親しまれた)だということに気づく
多くの人がふるさとを懐かしく思い出して訪れたんだろうな
戦争での辛苦だけでなく様々な暮らしの中でのおもいを抱いて訪れる人も多かったろう
この場所が大好きな人も多かったろうな


サイパンを訪れて 一番最初にうたった場所がここだったことが
とても大切なことに感じていた 
迷子じゃなくて本当は
こっちだよ~ とあるく順番を手招きして教えられているような気持ちになった
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by yokoiterumi | 2010-04-23 19:36 | 海外へ | Comments(2)

2010サイパン ①到着

4月19日夜中成田をたって20日未明に到着
ふたりきりで海外へ出かけるのは初めて どきどきしながらBOOも私も無事入国
空港から降りて混載バスへ向かう途中
山影をみて ただいま とつぶやいていた
 
混載バス係員が「サイパン島の時計はほとんど合っていません~ 」
そのひとことに なんとなくほっとする

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朝カーテンを開けるとまぶしい日差しと海が目の前にあった
「わぁ~~~~~~~~」
こういう景色のところに泊まったことがないため
しばらくふたりで口をあけて眺めた後 レンタカーを借りるため事務所へ
中学生程度の英語しか分からない私たち
ポルトガル語と日本語が混じった英語で話す係員
最後はお互いにジェスチャーと筆談(絵)

BOOの左ハンドル右車線運転とわたしのナビで旅することになる

アメリカが上陸を果たしたランディングビーチを左手にみながらビーチロードを走る
真っ赤なフレームツリーの並木と海と空がとてもきれい
気になった場所で降りてサイパン島の海と空 大自然のかみさまに挨拶
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車を止めたのはアメリカンメモリアルパークが隣接するマイクロビーチ
マニャガハ島が真正面にみえる
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周りを少し歩くと 1800年代のカロリン人の住居跡が残る場所
あちこち破損しているトーチカも原っぱの景色の中に普通にある
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今回わたしたちが何度も気をつけようと確認したことは
悲しい歴史がまだ傷跡をむき出しにさらしている場所が多いからこそ
固執して物事を感じないようにしようということ
自分たちの感じることを大切にあるいて感じたとおりにしてみようということ

いつものように北へむかう
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by yokoiterumi | 2010-04-23 18:38 | 海外へ | Comments(0)