ゆっくりあるこう   by照美 yokoiterum.exblog.jp

大自然のかみさまと おなじほしにうまれたいのちにであう旅 唄いながら旅しています ~照美 


by yokoiterumi
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カテゴリ:東日本大震災( 18 )

亘理から伊達へ

何気なくインターネットニュースを見ていて 見つけた記事
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20110711/k10014114351000.html

亘理郡山元町へ行ったときに泊めてくださった おばあちゃんの昔話を思い出していた
明治元年 戊辰戦争に敗れた仙台藩の降伏式は亘理城で行われ
その後 亘理伊達氏は北海道に開拓移住することになる
おばあちゃんの先祖も家臣として 現在の北海道伊達市に移住した

自分たちが亘理郡へ行くことになろうとは思ってもいなかった
昨年の夏
ちょうど今頃 北海道の伊達市開拓記念館を訪れたことも思いだした

亘理伊達の殿様は、移住にあたって
家族とともに移住することで、開拓のつらさや孤独からの脱落者を出さないように
家臣の独身移住を許さなかったことが 開拓成功につながった

生ききるつよい覚悟を感じた ふとい場所だったなぁと おもいだした






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by yokoiterumi | 2011-07-11 11:10 | 東日本大震災 | Comments(0)

宮城エピローグ

今回の旅は 出発の2日前迄 まったく予定しなかったもの
あまりのタイミングの良さに 行かない理由はなく出かけた
なかなか 軌道にのらなかった最初の1日半と その後の3日半
どちらも大事に過ごせたことに ただ感謝

旅先で 途中何日かを一緒に過ごす方はいても
初めから終わりまで 私たち二人に他の方が一緒になって旅をしたのは
これが初めてのこと  そのことも含め 学びの多い旅だった
ずっと一緒にいる ぎこちなさを経て
3人のちからがひとつになったときの回転の速さとエネルギーは
いつも2人の弥勒をぐっとバージョンアップさせてくれた


旅の途中 私達が宮城にいることを知らず  何人かの方から電話がかかってきた
偶然つながる その電話に 何度も気持ちの切り替えを助けてもらった
わたしたちは 私達だけで歩いていない と感じる一瞬だった
中でも驚いたのは 『ヘビのうた』(今月中にユーチューブにアップする予定)の主人公のヘビ学者からの電話
車のなかで『ヘビのうた』をかけて宮城に入ったものだから
あまりのタイミングの良さに うれしいやらびっくりするやら

阪神淡路の大震災のとき大学生ボランティアで参加したときのことを思い出していた
現地に入って 現地の大人の方に色々学んだこと 苦い思い出も含め思い出す
自分なりに阪神淡路のときと何が違うのか それがどれだけつらいことか感じながら歩く

つらさも 被災の重さも ほんとうは測れない
ものさしは こころの数だけ無限に存在する
だからこそ 「わたし」であることが大切だと分かってきた

募金や経済面での支援は 今のわたしたちには 少しむずかしく
いまは よいタイミングが訪れたときには 
許される限り いつでも どこへでもでかけたいと思っている
それが私達の出来ること
ちからはちいさくても 小さいなりに

昨晩おそく 東北地方で大きな地震があった
次から次へ 出会った方々の顔が浮かぶ
杖をついた あのおじいちゃんは大丈夫だったろうか
いつもトイレのスリッパを揃えてくれている あのおばあちゃんは大丈夫だろうか
「ふるさと」をリクエストした あの子たちは だいじょうぶだろうか

BOOとふたりで話していた
心がつながるってこういうことかな

たくさんの方のおかげで 行って来れました
どうもありがとうございます


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by yokoiterumi | 2011-04-08 12:03 | 東日本大震災 | Comments(2)
2011年4月5日(火)
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「いやぁ きのうは たのしかった~」と声をかけてくれる方に  
こちらこそありがとうございました とうれしい朝の食事時
「もう帰るの~?」
お昼からここでゲームをして帰ります 良かったら一緒に遊んでくださいね
「ゲーム・・・?」
じゃんけんで勝ったら飴がもらえます
「ほほぅ  飴ね」


おばあちゃんにお世話になったご挨拶に午前中 一度家に戻る
おばあちゃんは 今日もお葬式で出かける準備をしていた
「あなたたちに食べさせたくて お餅作ったから あんこから先に食べるのよ~
それから おみやげここにおいといたからね」
横浜から運んだよりも沢山の おみやげは畑で採れた野菜と おばあちゃんが漬けた沢庵漬
毎日 沢庵漬がおいしいおいしいと食べていたので  結果的に催促してしまったような・・・
でもうれしくて ありがたく頂いた

もう一度大滝不動に寄る
来た日に 手折った松の木の枝をここにかえそうとしたが 出てこないので
そのまま水を汲み もうしばらく一緒にいます とお水に伝える
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避難所に戻り ひとりで少しふらふらしていると ポンと肩をたたかれ 
「あなた 人生設計どうなの? 将来 大丈夫なの?」 と父ほどの年の方に声をかけられた
「ずっと唄っていて大丈夫? 生活していけるの? 蓄えは?」ときかれ
わたしが今 思っていることを話す
「なるほど 目の前のこと一生懸命していれば 必ず道は拓けると信じてるわけね  名残惜しいね また会いたいね」
笑って握手をした


13時からはじめる予定のゲーム大会
一番乗りは30分も前に来たおばあちゃん
せっかくなので 13時になるまで来る方と唄をうたって遊ぶ
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ちえさんの直感で次々すすむ色々なゲーム 
昔子どもだったチーム 対 今子どもチームの対抗じゃんけんと 対抗歌合戦「ちょうちょ」「めだかの学校」は
ゲームと思えない真剣勝負
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手ぬぐいを首に巻いてしばって手をたたき『天下泰平』と唱えてほどいたら 隣の人に回す『天下泰平』というゲームは
杖をつきながらゆっくりゆっくり歩いてきて下さったおばあちゃんの手つきの機敏なこと
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大笑いの渦の中最後に一緒に唄って終わろうということになり
今日は「ちょうちょ」  
これでもか~と 子どもたちの声が大きく大きく校舎に響いた

私達を受け入れて下さった校長先生に挨拶する
「いやぁ きのうは幅広い年齢層を ぐっと掴みましたね~」
と声をかけられ ほんとうに 皆さんのおかげですと感謝して
でも実は ぐっと掴まれたのは 私達のほう
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ETC割引を利用し 午前0時を過ぎてから東北自動車道を通過したくて
時間調整も兼ねて白石城へ寄る
城主 片倉小十郎は 亘理城を経て白石城へ移った
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天守閣の入口に 奥羽列藩同盟の旗がかかっていた
この城も早いうちに降伏したが 最後まで抵抗した会津藩は
ぐちゃぐちゃにされた
明治にはいり 城は解体され120年間 はらっぱとなった
120年間
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疲れているけれど 心の震えがなかなか止まらず
真夜中 家に帰る


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by yokoiterumi | 2011-04-08 11:27 | 東日本大震災 | Comments(0)
2011年4月4日(月)午後

四方山から戻り 避難所へ
昼食はパンと牛乳とゆで卵 おせんべ1袋
「お~ 3週間ぶりの牛乳だぁ」と言って受け取る方

そのあと3日目の仕分け作業へ
前日一緒にボランティアした赤十字から派遣の山口県から来た方と
マザーテレサの修道会から派遣されてきているボランティアの方と一緒に
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食事当番を一緒にした保育所の職員の方がタオルケットを探しに訪れた
子どもたちの午睡用のふとんを 大人のタオルケットを二つに折って袋状に縫い作ろうと考えているとのこと
荷物の山の中から さがす
いつものように休憩中に唄を唄って 作業を終える

夕方食事ボランティアのときに 食器洗いに来られる方に
今日8時から わたし唄いますので きてくださいね   と声をかける
「へぇ~ あなた・・? うたうの・・・?あっそう・・・」
反応は様々ながら 自然に会話ができ始めていることがうれしい

音響セットは持っていく必要ないか・・・と横浜を出発するときにBOOと相談して
でも 何があるか分からないから持っていこうと運んできた音響セット
しかし・・・・
マイクのシールド(コードのようなもの)を全部忘れてきていることに直前に気付いた
学校の放送室のシールドを借りて唄うことになる
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セッティングをしていると 時間前だというのに人が増えてきてマイクテストのタイミングを逸してしまい
「テストですけど うたいます」と 唄う予定に入れていなかった「会いたくてきちゃったよ」をワンコーラスうたったら
♪ あ~なたにあいたくて  あ~いたくてきちゃったよ・・・ ♪
会場の方が 知らないはずの弥勒の唄を一緒に唄ってくれている
体中に 血がグワ~っとめぐった
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あらためて コンサート開始となり 弥勒の唄や 沖縄の民謡や みんなが知っている唄をうたう
タイミング良く BOOが歌詞を間違え みんな大笑い 大拍手
「がんばって~~」 と大声援
その声につられて 始まってからも人が増え続け 階段で立ち見する方がぎっしり
吹き抜けて見える二階の廊下のベンチに並んで座って 参加して下さる方
やっと姿が捉えられるほど遠くで ずっと立ったまま最後まで聞いて下さった方
わすれられないコンサートになった
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宮城の紙屋さんの紙で 山形で作った出来たての本です 僕の絵ですと BOOが絵本を何ページか読むと
「こっち 見えませ~ん」 と声がかかり またまた大爆笑
私達が何もしないうちに 来てくださった皆さんの力で 
いつもとかわらぬ 弥勒コンサートになっていた

おしゃべりは 山元町に到着してからの自分たちのことを中心に話した
伝えたいのは ボランティアしたい気持ちを受け入れて下さった御礼
お手伝いできる場所ができて 本当にうれしかったこと
来てよかった と とても救われた気持ちになったこと
みなさんのおかげだということ
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約束の時間をオーバーしていることに気づいて
「あと2曲うたっていいですか」と堂々と約束を破ってうたう
終わりにしようとしたら アンコールをしてくださった
「じゃぁ 一緒に何か唄いましょう  何がいいですか?」
リクエストされたのは 『ふるさと』 だった
いつもの弥勒ライブのように約束をする
「1,2,3番を唄って4番はラララです。 歌詞が分からなくなった人は 分からなくなった所からラララです」
涙も吹き飛ぶ大合唱だった


コンサートの終りに ちえさんを紹介した
わたしたちが今日なぜここにいるかといえば この人が誘ったから
ちえさんが挨拶をした
「小さい頃 祖父母の住むこの山元町によく遊びに来ました
 山元町に 本当にお世話になって育ちました
 今日は すこし恩返しができたかな  と思っています」
こらえていた涙がポトンと落ちた


大きく手を振って別れる 
また 明日の朝 ごはんの時にお会いしましょう
おやすみなさい







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by yokoiterumi | 2011-04-08 10:31 | 東日本大震災 | Comments(0)
2011年4月4日(月)午前

避難所へ朝食の準備に向かうために 
今日も一緒に早起きして ごはんを用意してくれたおばあちゃん
「できたら海の方と町の様子が見たい」というので 
食事ボランティアの仕事が終わったらお昼までの2時間ほど
一緒に町をまわることを約束する
おばあちゃんが生まれ育った町
ちえさんの先祖が生まれ育った町

4回目の食事ボランティア 今日もスープをよそうことになる
自衛隊から届いた鍋のふたを全部開けて 先に量を確認
全員に行きわたることが何より大切だもの・・・

食器洗いに流しに来る方の多くがスープを残していて
 口にあいませんでしたか・・・? と声をかけると 
「ちょっとね・・ 不思議な味で・・・ それにしょっぱくて」
 そうですか それは ざんねんでした・・・
緊急避難場所だから 与えられたものをそのまま提供せざるを得ない
隣の家の味は味噌汁も漬物もみんな違うのに もう3週間も 同じ与えられたものを食べる
顔なじみになった方が 食器を洗いながらポツンと話しかけてくれ始める
どれだけ大変だったか 3週間たって 集団生活がどれだけ大変か


家に戻ると 準備万端で待っていた おばあちゃん
「行きたい」というところに4人で向かう
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「あぁ 駅だけ のこった・・・  このあたりは駅前でひらけていて ぎっしり住居があったんだけど」
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この丘のむこうとこちら側は天と地の違い この丘が波をうけとめた
知り合いの人の家があったあたりを通りながら
「あぁ・・・ これじゃぁ・・・もう住めないわねぇ・・・」

家に戻る途中 おばあちゃんの話にでてきた 長寿の水とよばれるところへ行く
地震の後水道が復旧するまでは 長蛇の列だったという
きょうもまだ水を汲みに来ている人がいて
道路沿いの水くみ場には4台くらい車が止まっていた
「じゃぁ 少し歩いてお不動様のところに 水が湧いているから行きましょう」
おばあちゃんが案内してくれたのは 長寿の水へつながる水の道をのぼったところの大滝
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自然界では 何も変わらず営みが繰り返され
浄化などという言葉は必要ない 山は水を生み出し続けている  ただそれだけ
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「ここまできたら四方山に登りたいわ」というおばあちゃん
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365度の大パノラマ  海側を指さして おどろく
同じように何人かの方が 海の方を黙って見つめている
背中を振り向けば くるりと四方山を取り囲むように流れる阿武隈川のうしろに
蔵王が威風堂々かまえている
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海を見て 振り返って山を見て 川の流れを目で追って
ギタレレを出して「ふるさと」をうたった
肉体持つものと 肉体離れたものが向きあって 
お互いに お互いのために唄っているような気持ちになった
唄はそういうものなのかもしれない
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思いがけず お水に感謝し お山にあがることができた
さぁ 思う存分やりなさいと言われているような気持ちになって
きゅっと いい緊張が走る


  
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by yokoiterumi | 2011-04-08 08:48 | 東日本大震災 | Comments(0)
2011年4月2日(土)午後

すぐ近くの小学校へ 到着物資の積み下ろし作業を手伝うために行ってみると
予定が変更になって作業は中止
「体育文化センターに行ってみたらどうですか」といわれる
避難所はすべて回り終えたが  全国からの救援物資を集積する「体育文化センター」にはまだ行っていなかった
「あぁ ほんとうに ぜんぶちゃんと見なさい といわれているみたいだねぇ」
と3人で話しながら行ってみると

今からすぐにでも手伝ってほしいといわれ 意気揚々部屋に入ると
次から次へ運ばれるダンボール
整理するまもなく 次から次へ
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そのなかで
子ども服を早めに仕分けして出せるようにしたいとのこと 
仕分け作業をすることになる
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作業に当たっているのは自衛隊の方 
赤十字などボランティア組織から役所を通して派遣されてきている方 
全国の役所から1週間交替で出張している公務員の方
そして そこにわたしたちが加わった
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日本全国からの 力になりたい叫びがつまったモノたち 
仕分け整理しても仕分け整理しても 続々届く支援物資のひと箱ひと箱 
モノだけではないから ずしりとおもい
わたしたちも こうしてやってきているから その重さがよく分かる
しかし
必要なモノが 必要な方の手に 必要なときに 届けることが
こんなに困難なことなのだと 感じていた
膨大な作業の中で 支援として届くのはどれほどか 頭をよぎる   
それでも やるしかない
発注物品の仕分けとは ちがう

箱を開けて  あぁ これがひとつの家族のもとに このまま届いたら
どれだけ喜ばれるだろうかと思う箱が いくつもある
赤ちゃんからおばあちゃんまで ひと家族が必要なものが
少しずつ 整理されて入っている
被災した家族を想像して 自分たちのこととして思って
手紙を添えて 箱を閉じて 祈る気持ちで送った箱
被災した方々に代わって いま 私が箱を開ける
でも 私はここで それぞれをバラバラに仕分けなくてはいけない
そうしないと 役に立たないモノになってしまうから
何度も泣きそうになった   しかたない

ひと仕事を終えてまた翌日来る約束をし かえろうとしたとき
ずっと箱に埋もれて作業している 若い自衛隊の方々と 押し寄せるモノの中で
うたいたくなった
「自衛隊のお兄さんたちのために うたいます」
森の唄 ゆらりん レッサンピリリ
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帰宅前、もう一度近くの小学校に寄る
ちえさんが 子どもを見つけて遊べる時間がないか相談したところ
翌日「勉強の時間」のあとの1時間 一緒に遊んでくれることになった

ここから すごい勢いで3人の活動がはじまる


家に戻ると おばあちゃんが畑に夕ご飯を採りに行くところ
一緒に連れて行ってもらった
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おだやかな 暮らしのなかで
距離にして2kmほどの差に なんともいえない気持ちになる

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by yokoiterumi | 2011-04-07 15:27 | 東日本大震災 | Comments(0)
2011年4月1日(金) 夜
お葬式から戻った ちえさんの叔母さんは 80歳になろうとするおばぁちゃん
先祖から預かった由緒正しい大きな「御家」を守っている
高台にあるため津波の難を逃れ 自宅で生活している 
しかし商店が開かず3週間買い物ができない
支援物資は避難所に届けられるが個人宅には届かず困り始めていた
それでも 田舎ならではの乾物や漬物などの保存食と 畑があるから 
私たちに持ってきてほしいと頼んだのは 人参、卵、豆腐、納豆、肉など数点 

岩沼 角田 亘理 山元の 28,000分の1地図を出して
これからの動き方を話していると
おばあちゃんが 先祖から伝え聞いている歴史の話を始めた
 「このあたりは水が豊かで アイヌの人がずっと住んでいたのよ 
  アイヌの人は水のきれいなところに住むからね」
それはいつ頃の話ですか・・?
 「そうね~ 1500年くらい前ね  このあたりの先祖が住む前の話 
 蝦夷征伐で追いやられてしまったからね 東街道の名残があるのよ
 まだ住居跡もあるから 明日行ってみなさい 」

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おばあちゃんの先祖は亘理伊達氏の家臣で 代々嫡男が亘理城の勘定奉行を勤めてきた
「お城まで お馬係が手綱を取って馬で 出勤していたのよ
 家事で燃えてしまったけれど 古い家の床の間に 具足箱と武士の教養文書棚があってね」

隣国 相馬との領土争いなど戦国時代は何度も戦場となったため
伊達家の中でも優秀な人材を城主にした
伊達政宗の軍師 初代片倉小十郎もまた 亘理城をまかされたことがあった
地図を見ていると その名残なのか 合戦原という地名もある
「300年前にもこのあたりに大津波があってね 
先祖の深衛門が村人を救って 石碑があるのよ でもこの津波で流されたかな」


「先祖代々伝わる名刀があったみたいなんだけどね
 家の道を四方山に向かって上っていく途中に 長寿の水という湧き水があって
 先祖が剣をおいて水を飲んで すっかり剣のことを忘れてかえってきてしまってね
 取りに戻ったら 剣はもうなくて金色の蛇がいたんですって」

明治元年 戊辰戦争に敗れた仙台藩の降伏式はこの地で行われ
その後 亘理伊達氏は北海道に開拓移住することになる
おばあちゃんの先祖も家臣として 現在の伊達市に移住した
「当時 家を継いでいたのは まだ幼い13歳の男の子でね かわいそうにね
 だから伊達市に親戚がいるのよ」

この土地の たいせつなことが 次から次へ 玉手箱のように
おばあちゃんの口からとびだしてくる
噴出す土地の記憶
ひとつひとつ忘れないようにあるきたい





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by yokoiterumi | 2011-04-07 13:37 | 東日本大震災 | Comments(0)
2011年4月1日(金)午後
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まだ水がひけずに いる
イチゴのビニールハウスがいくつも こわされている
このあとに 出会う人出会う人が山元町を私達に説明するときに みんなが教えてくれる
「イチゴとリンゴがおいしくて有名なんだよ  リンゴは収穫時期の気候が最高にいいんだよ
 あなたたちに食べさせてあげたかったねぇ~ 」

自衛隊の車両がいくつも入って作業をしている
自衛隊の作業現場に一般の人が近寄らないように
地元の消防団が羽織を着て 通行止めの看板を守っている

車両が通行できるように きれいに片付けられた道路の隅で 手を合わせると
きれいなところに立って見ているだけでは 来た意味なし 
ここから未来へ すべて承知して その上を歩いていくんだよ 
と 空と大地に挟まれて 促がされているような気持ちになる
それでも だいぶ長い時間 その場に ただ立って眺めていたけれど
 
踏んでしまって ごめんね わすれないからね と つぶやきながら あるきだした
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海からのもの この土地のもの ヒトのもの いのち すべてが なんの隔たりもなく
どれもこれも特別な存在ではなく  どれもこれも特別な存在として
その場所にあった 
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松の木が流され倒れている
海岸線には 美しい松並木の道が続いていて 高台からでも 直接海は見えなかった
「宮城の湘南って言われてたんだよ~  海の近くいいねって 」
倒れていた松の木の枝を 一本手折って
持ってきた水の容器に入れた
この街にいる間は しばらく いっしょにあるこうと決めた

避難所を訪ねるため 車に戻り出発しようとしたけど
きゅうに あぁ ここでこそ唄わなくちゃと思って  
ギタレレを出してうたった
どれもこれも特別ではなく どれもこれも特別な存在に向かって

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山元町の役場を訪ねる
ここでは町の統括をしているものの 
生命維持に関わる基本的な支援は 自衛隊と避難所となっている施設職員を中心に
避難している住民の方々の自治で 運営されているところが多く 
それぞれの避難所を直接まわって
ボランティアニーズを聞いて 活動してほしいと言われる

町内にはいくつかの避難所と支援物資集積所がある
さっそく 近くの避難所数か所をまわる

3週間の間に試行錯誤の幅は小さくなって 落ち着いてきている
不足を言えば きりはないし 手が足りないことももちろんある
しかし 仮のすまい 緊急一時避難場所で
削いで削いで 日を送るなかで 全体的に見れば 
歯車はたしかにまわっていて
今すぐになにか手が足りず困る という状態ではない
だから おそらく削いでいるところに 私達のやれることが あるのだろうと感じる
おしかけず 自然の流れがやってくるのを あるきながら 3人で待つ


どこの組織にも属さず 個人として「ボランティアをしたい」と申し出る私達の様な場合
到着早々には仕事が見つけられなかった



なんとなく 就職活動で成果を上げられず 暗くなったから家に帰るような雰囲気で
泊めて下さる ちえさんの叔母さんの家へ戻る

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by yokoiterumi | 2011-04-07 11:17 | 東日本大震災 | Comments(0)
2011年4月1日(土)
白石ICを降りて山元町周辺の地図を買い角田に向かう
目的地山元町の手前にある角田市は ちえさんの父方の先祖が暮らした場所
阿武隈川を 今回の旅の入口に決める
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3人で川に向かって挨拶し しばらく川のそばで過ごす
海の水が上がり 阿武隈川の真水は溶けて 海に戻っていった

集落をぐるりと回り 挨拶して感謝して
海から離れた角田市には遺体の安置所が設置されている
私達が山元町へ向かう道を 遺体となった方々が山元町から運ばれる
そして 土葬するため 山元町の真庭という集落に運ばれていく


お世話になる ちえさんの叔母さんの家は四方山のふもと 
山元町でも海から大分離れていて高台のため 津波の難は逃れた
地震のあと外に出て 津波を高台から見ていたおばさんは
「水平線がうわぁ~っと盛り上がって 次々となりにうつっていくのよ~
腕いっぱい広げたみたいに 次から次へ津波がでて こっち向かってくるのよ~
雷かと思う音がしていたわ」と話してくれた

すぐ近くの ちえさんの先祖のお墓のあるお寺にお参りする
墓石が崩れたり倒れたりしている
本堂には白い袋に入った遺骨がいくつか並んでいる
火葬してすぐに葬儀ができず お寺でしばらくやすむ方も大勢いる
お寺の境内に カヤの大木があった
風にゆれながら 「ここだよ ここだよ」と
海に向かって枝を振っているように見えた
私も一緒に
手を広げてゆれてみた
ここだよ ここだよ  ここにいるよ

海のそば行ける所まで行きながら 山元町の役所にボランティアの受け入れ状況を聞くために向かう

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by yokoiterumi | 2011-04-06 23:58 | 東日本大震災 | Comments(0)
2011年3月30日(水)31日(木)

今回 私達を誘ったのは 宮城県亘理郡山元町に母方の先祖をもつ ちえさん
本来の弥勒のスケジュールでは 出かけられる日程でなかったにも関わらず
ちえさんから電話がくる日 4月初旬の予定3つが 急にキャンセルになった
「まぁ やることはたくさんあるし いいか~」とのんびりムードになり始めた時に電話がきて
行くことになった

出発まで1日しかないのに
集まる飴やおやつなど 友人たちからの荷物や
横浜の子どもから被災地の子どもへの手紙 おもちゃ
使い方は任せるよ とガソリンタンクにガソリンを入れて持ってきてくれた友人
それだけで泣きそうになりながら 荷物を積む

そんな 慌ただしいなか

わたしは
前日まで旅していた茨城でのいろいろなことを 感動のままのこしたくて
新しくできた曲をユーチューブ用に録音しながら ご飯を作る

BOOは
作業が途切れがちになっている 締め切り間近の太平洋展応募作品を
黙って作り続ける

いつものように暮らすことで ふたり 心を鎮めていく



夕方 横浜を出発 ちえさんと合流して宮城へ向かう
現地の状況が分からないので、高速道路上で夜をすごし
早朝、白石から山元町へ向かうことにした
冬の間お休みしていたボンゴの屋根を揚げBOOとふたりで寝る
ちえさんは荷物と一緒に車の中で寝る
さすがに 朝方は寒くて目が覚めた

車の中で 今まで話す機会の廻ってこなかった ちえさんの先祖のルーツに触れることになる
大勢であるきだしていると感じる




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by yokoiterumi | 2011-04-06 16:37 | 東日本大震災 | Comments(0)